あの時代

アメリカ横断ウルトラクイズ【ニューヨークへ行きたいかーーー?】

ドリフの裏でひょうきん族が始まり、鉄腕アトムの裏でアラレちゃんが始まった。私は変化の時代に小学生。思い返してみると、変化ばかり。

最初に勤めた会社のパソコンのOSはWindows3.1。学生の頃、学校で使っていたパソコンがWindows95。勤め始めてバージョンが逆行。変な意味で苦労した。
起動すると「プログラムマネージャー」と言うものが出てきた。スタートボタンが無かった。Windowsのフォルダーからシステムナントカってフォルダーを開き、プログラムを立ち上げたはず。…記憶が曖昧で申し訳ない。

通信回線は「ダイヤルアップ・ネットワーク」と呼ばれていた。
自宅でインターネットに接続する時は、わざわざ電話回線を本体から取り外し、パソコンジャックに繋ぎ直す。
ダイアログの接続ボタンを押すと、

ピーーーヒャラヒャラヒャラヒャラ~

いま繋げています、って音がパソコン本体から聞こえる。

インターネット接続中は、通常の電話がかかってきても出られない。
通話中の扱いになっていた。とってもアナログな状態。
そんな社会人生活を送っていたある日、ウルトラクイズの歴史は幕を閉じた。


小学生の頃は毎年、夏になるのが楽しみだった。
私も大人になったら応募しよう、と思っていたら終わってしまった

“知力・体力・時の運”
後楽園球場から始まり、毎回アメリカの景色を楽しみながらチェックポイントを通過。
罰ゲームに敗者復活戦。素人出演者それぞれのエピソードがあり、ドラマがあり。

同県出身のチャレンジャーがいると応援した。
最終決戦のニューヨークでは、生き残った二人の挑戦者が長い道中を振り返り、一緒に過ごした仲間をねぎらう。感動的だった。ビル風に吹かれているのがまたよろしい。

クイズ番組に挑戦して、勝ち進むと会社に出勤できない。そこで会社に事情を話し、「今、勝っているので帰れないんです」という。会社勤めの人は会社の宣伝になるから頑張ってこいと言われたことだろう。
いい時代だ。


懐かしいからwikiで調べてみた。優勝賞品は島だったり、温泉(自分で掘る)だったり、畑だったり、維持が大変なものばかりだったそう。そういえばそうだった。
あの人数分の旅費が出るだけでもすごいこと。バブル真っ只中だったとはいえ、視聴者に与えた夢は壮大。お金が回っているというのは本当に素晴らしい。

このウルトラクイズをもじって『お笑いウルトラクイズ』も始まった。
ボロボロの川崎球場に人を集めて、熱海のサンビーチでマルバツクイズ。


川崎球場も恐ろしいほどリニューアルされ、現在ではアメフトの練習場。
https://kawasaki-fujimi.com/stadium_guide/stadium
きれいすぎて笑っちゃう。
あの野球を見ていない人々のていたらくが時々テレビに映っていた時代が懐かしい。飲みに来ているだけのオヤジ、イチャつくカップル、がら空きの座席…。野球をバックに人生を謳歌する人々の、憩いの場が川崎球場だった。そしてテレビには映らないけど、球場の隣の富士見公園では夜の7時であるにもかかわらず、小学生がファールボールを拾いに集まっていたものだった。

お笑いウルトラクイズもテリー伊藤さんの企画。テリーおそるべし才能。
こちらの優勝賞品は「栄光の唐草模様ジャケット」…。